ファッション カルチャー 雑記

【オピニオン】「シースルードレスが流行」の報に考える、「装う」ことの意味。

2023年1月15日

こんにちは、物欲紳士です

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先日、Yahoo! ニュースで「装うこととは」「表現とは」について考えさせられる記事を読んだ。

…ので今回は(通常の「物欲系記事」からは趣向を変え)、ちょっと論考っぽい記事を書いてみたい。

はじめに記事を紹介し、その上で筆者なりに考えたことを述べていきたい!

今回取り上げるのは、の記事。

 

記事の要約

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長い記事ではないのでぜひ目を通していただきたいけど、筆者なりに要約してみたい。

トランスペアレントなドレスが世界のレッドカーペットに君臨している。露出度の高いこのドレスは、多くのセレブリティが着用し、政治的なメッセージにもなっている。

記事はのような記述からはじまり、トランスペアレント(透明)な服の歴史と、近年の流行について説明している。要点は以下。

"開放された性の象徴"として、1960年代に大流行
直近、レッドカーペット上で再流行している
  50代が目前のケイト・モス"堂々とトランスペアレントなドレスで下着を見せて現れた"
  歌手のリアーナ"真冬のパリでショーツ、ブラ、妊娠したボディラインを披露"
  その他、いくつかの事例を紹介
(""内は、記事からの引用箇所)

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具体的な事例を紹介した後、記事ではシースルードレスの再流行の理由や意味、影響について考察している。

まず、理由について
セレブリティにとっては、「目立つこと」が生き残りのために重要。注目を集めることが動機の1つだと考察している。

意味については、以下のように述べられている。

透明なヴェールに包まれたセレブリティたちは、私たちにありのまま生きることを勧め、自分の身体を他人の目に映る欲望の対象としてではなく、自分自身を肯定するものとして主張しているのだ。

「開放された性の象徴」だった1960年代から時代がさらに進み、身体を「見せる」ことが(ある種のルッキズムを超えた)自己肯定の表現になった、という感じだろうか。

そして最後に、ファッション業界も絡めた影響やその意図について述べている。曰く、

ブランド各社は一体となって、ファッションの古い考えから、多かれ少なかれ、確実に少しずつ、セクシーさの限界を押し広げようと前進している。

ある意味でフランスらしい、進歩主義的な価値観が感じ取れる文章だ。

「私たち一般人のファッションの変革の端緒になるだろうか?」といった問いかけを提示しつつも、全般的に価値観の変革を期待するようなトーンで、記事は締めくくられる。

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記事を読んで、考えたこと

まず筆者は、ファッション関連の記事も多い当ブログを運営している。
だけど(現時点で)扱うのは「実用的なメンズファッションアイテムの情報」が中心。
レディースファッションやトレンド情報については、それほど詳しくはない

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元の記事は、まずそんな筆者にも豊富な事例を通して、トレンドを分かりやすく解説したものだと感じた。
と同時に、「装うこと」や「表現すること」の意味についても考えさせられた。

結論的には(「価値観や装いの変革」への期待を感じさせる記事のトーンとは異なり)、筆者は「私たちの装いが変わるのか」については懐疑的に捉えている。

「装う」こととは

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まず多くの方が認めると思うのは、(賛否に関わらず)「パブリックな場で下着とか素肌を晒す」のは、装いとして「際どさ」があるという点だ。

記事内の事例を見て私たちが感じる「違和感」の正体は、「人前では隠すべきものを晒している」という、ある種の「規範とのズレ」
そしてこうした「ズレ」への意識は、「『隠す』ことも、服の機能の一部である」という気付きに繋がる。
 


Rei Kawakubo: For and Against Fashion
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蛇足だけど、ファッションショーなどで「実用的な観点からは理解が難しい意匠の服装」を見た際に感じる「違和感」は、同様に「『装う』とは何か」という問いに対する、より深い理解を与えてくれるものかもしれない。

 

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「アヴァンギャルドな表現」とは

まあのような話は「60年前から存在した」というのが、記事で言及されている内容ではある。

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この点に対する最新トレンドのポイントは、「着用者が中年や妊婦である」点。
言い換えると(ある種の)反ルッキズム的な文脈での自己表現」が、彼女たちがシースルーなドレスを着る意味になっているわけだ。

では、記事や媒体が期待する(?)ような「私たちの装いの変革」は、これから実際に起きるのだろうか…?

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この点について取り上げる前に、まず「アヴァンギャルド(前衛的)な表現とは何か」について、筆者なりに整理してみたい。

◆◇◆◇◆


FIGARO japon 2018年 02 月号 表紙:水原希子
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まず身近に起きた事例として、数年前に日本のとある俳優が「下着を着用した女性の股間をアップにした写真作品」をSNSに投稿し、賛否が起こった事例を挙げたい。

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彼女が「際どい」写真をSNSに投稿した行為には、「SNS上の写真は、かくあるべし」という既成の概念に挑戦する側面もあった。
つまり、違和感や賛否両論を通して「私たちが捉われている常識や固定観念」を可視化したこと自体が「投稿が持つ意味」だと言えなくもない。

そして上記のような点は「アヴァンギャルドな表現行為」の特徴でもある。
 


Marcel Duchamp(ハードカバー)
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より教科書的な事例を挙げると、ダダイズムを代表する美術家の1人、マルセル・ドゥシャン (Marcel Duchamp) の作品が有名。

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代表作と言えるのが「泉」 (1917) 。ざっくり言うと「便器を作品として出展した」というものになる。
当然賛否が巻き起こったわけだが、ここで彼が提示したのは「レディメイド(既製品)」という概念。

既製品(に手を加えたもの)を作品とすることで、彼は「作品とは、作家の手によって作られたものである」というファインアートの固定観念を提示し、それを否定したわけだ。


Picasso (Essential) -ハードカバー-
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細かくは述べないけれど、キュビズム(ピカソら)を始めとする他の現代美術も、「既存美術の固定観念を提示し、それらを相対化する」要素を、多かれ少なかれ持っている。さらに音楽などの他分野でも、類似の事例が存在する。

以上をまとめると「違和感や賛否を通し、既存の固定観念を可視化する」ことは、アヴァンギャルド(前衛的)な表現の特徴の1つだということになる。

◆◇◆◇◆

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元の記事に話を戻したい

シースルーなドレスを着ることによる(ある種の反ルッキズム的な)装いにも、似たようなアヴァンギャルド性が見られる

私たちが普段ファッションで気にかける評価軸(TPOに合う・お洒落・機能的、など)だけでなく、コンセプチュアルで象徴的な意味合いからも捉えるべき行為だというわけだ。

 

ドレスコードの変革は起きるか?

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では、記事が期待する(?)ような「私たちのドレスコードの変革」は、これから実際に起きるのだろうか?
結論から言うと、(元の記事の期待?とは異なり)当ブログの答えは「No」だ。

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例えば、先ほど挙げた「有名俳優のSNSへの写真投稿」の事例。
(仮定として)近い将来、この投稿の「意味や価値」への支持派が大勢を占めたとする。

すると多くの方がマネをして、「SNS上が股間の写真だらけになるか?」と言えば、そうはなり得ないだろう。

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ドゥシャンの作品(レディメイド)に関しても同じ。
「他の美術家が制作を止めて、既製品を探し求めたか?」と言うと、実際にそうはならなかった

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アヴァンギャルドな表現には、「コンセプトを伴った、オリジナルの作品や行為」のみが持つ価値が存在する。
それらの「価値」が広く認められた瞬間、「際どさ」は(ある意味で)陳腐化する。
「マネをする対象」としての魅力を失ってしまうわけだ。
 

インフルエンサーの影響力(概念図)

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他方で、セレブなどのインフルエンサーの役割として重要なのが「私たちへの、新たな価値の普及の促進」

そこにトレンド観察やビジネス的な意味が生じるわけだけれど、元の記事を書いた方はこうした「ファッションビジネスの構造」に支配されすぎている(?)のではないかとも感じた。

前述した「表現のアヴァンギャルド性」なども考慮した上でトレンドを捉えれば、インフルエンサーの行為すべてを「ビジネス的な視点」のみから理解することには無理があるはずなのだ。

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以上まとめると、ブランドやインフルエンサーが提示する最新トレンドの中にも、「私たちが取り入れてカッコ良いモノ」(先端的すぎて)マネをしても陳腐になるモノ」がある。

明確な境界や根拠を持って両者を区別できるわけではないけれど、「シースルードレスの再流行」のトレンドは後者だというのが、筆者の考えとなる!

 

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まとめ:価値観の「せめぎ合い」の中で

今回は、レディースファッションにおける「トランスペアレント(透明)なドレスの流行」のトレンドから、「装うこと」や「表現」について考えてみた
拙い論考だったかもしれないけど、いかがだっただろうか!

本文では触れなかったけど、最近の20代以下の方には、「男性的・女性的な服を避ける傾向」もある。
ジェンダーレス化とか「性的自認に関する価値観の変化」に起因する話だろうけど、こうした別のトレンドとの関係性を検討する必要もありそうではある。

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記事では「装いによる、セクシーさの表現」が変化するかに着目していたけど、着眼点も世代や価値観によって変わりうる、ということかもしれない。

言い方を変えると、「装う」ことだけを考えても「『隠す』のか『見せる』のか」とか「性的魅力の表現なのか、個性や人間性の表現なのか」といった対照的な価値観のせめぎ合いが複数存在する。

このような「価値観が複雑に交錯する状況」の中で、個々のトレンドは「何らかの価値観の変化」の現れなのは間違いない。

だけど、それが「ドレスコードの変革に繋がるのか(i.e. 私たちが彼/彼女らの装いのマネをするか)」という記事の視点は、「トレンドが帰結するパターンの一つ」に過ぎない
(着こなしには直接現れない範囲で)「私たちの洋服に対する捉え方が変わる」とか、より多様な影響を及ぼしうるものだろう。
 

 
「価値観の『せめぎ合い』の中で、『隠す』要素は残り続ける」
というのが筆者の考えだけれど、皆さんはどう感じられただろうか?

 

 

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